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関ヶ原の戦い

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日本人なら誰でも知っている「関ヶ原の戦い」。旧暦ですが慶弔5年の今日行われたため記念日として制定されています。新暦では10月21日になるそうなのですが、折角なので少し関ヶ原の戦いについて思い出してみようと思います。

天下分け目の戦い。まず関ヶ原の戦いが起きてしまったのは豊臣秀吉の死がきっかけになっています。天下をとっていた彼の死後、息子がまだ幼かったため石田三成が中心となった「五奉行」と、徳川家康が中心となった「五大老」で政治を支えます。しかし徳川家康が天下を取るために動き出し、三成と親しかった上杉景勝を征伐しようとしたのが最終的なきっかけとなり関ヶ原の戦いへと繋がってしまうのです。

西軍は石田三成が率いる85,000の兵、東軍は徳川家康が率いる88,000の兵。兵力としては拮抗していますが1日で勝負は決してしまいます。原因は元々政治が得意だった三成と戦が得意だった家康の対立だったということ、そして西軍内での裏切りだと言われています。お互いの得意分野で協力し合えていたら豊臣政権が長く続いたのかもしれませんね。

お互いの得意分野で支え合い、対立するのではなく協力できる関係をたくさん築いていきたいものです☆